こちらは、なんと!「元祖・玄米食パン」。
全く知らなかったのですが、偶然にも食べる機会に恵まれました。
トーストすると、サクッと香ばしく中はもっちり。しっかりした食べ応えで美味しいです。
⇧ 元祖 玄米食パン(東京・大山本店の商品)
『大正8年頃は、「脚気」「結核」が二大国民病と言われ、丸十ぱん店の始祖の田辺玄平翁は医食同源のパン作りを目指して渡米し、玄米食パンを開発しました。ビタミン、ミネラル・食物繊維が豊富な玄米食パン。』
目次:
日々の食事は、やっぱり大切
『医食同源(いしょくどうげん)』とは、漢方の用語で「食べるものと、薬になるものは同じ」という意味。
病気を治療するのも日常の食事をするのも、ともに生命を養い、健康を保つためには欠くことができないもので、源は同じだという考え。
1972年、料理番組で臨床医・新宿クッキングアカデミー校長の新居裕久氏が発表。中国の「食薬同源」を紹介する時、「薬」では化学薬品と誤解されるので「薬」の字を「医」に代えたもの。
玄米は「完全食」?
玄米は稲の果実である籾(もみ)から籾殻を除去したもの。精白されていないお米。
白米よりビタミン、ミネラル、食物繊維、ビタミンB1などを豊富に含む。必須アミノ酸がバランスよく含まれ、タンパク質の補給源として優れた食品。
医師・細菌学者の二木謙三(ふたき けんぞう)氏は、玄米を「完全食」と呼び、普及に努める。「完全食」とは、健康を維持するために必要な栄養をすべて含んだ食品のこと。
ご飯やパンなどの炭水化物は、精製度が低いものの方が繊維が多く、血糖値を急激に上げにくいといわれる。
現代は食べるものがたくさんあり、肉・野菜からビタミンを十分に摂取できるが、昔はビタミンB不足により「脚気*」などの問題ももたらしている。
*脚気…ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経(末梢神経)障害をきたす疾患。
「コッペパンの元祖」、丸十ぱん
丸十ぱんの始祖、田辺玄平(たなべげんぺい)氏(1874~1933)。
山梨県甲州市出身。渡米してパンの製法を学び、日本で初めてパン酵母による製パン法を開発。
1910年に帰国するも当時日本は冷蔵庫がなく、パン作りに必要な酵母(イースト)の管理がとても大変だった。私財を投じてドライイーストの研究に励む。
その後、1913年(大正2年)に東京上野黒門町で食パン専門の店として「丸十ぱん」店を創業。
大正4年「玄平種」を完成させ、誰でも製パン業が営めるように。家庭製パンの普及事業を始める。当時パンはまだ珍しく全国から弟子志願者が集まった。
大正8年に、陸軍の糧食(りょうしょく)の嘱託(しょくたく)となり、食パンの生地で携帯に便利なコッペパンを開発し納入。そのことから「丸十ぱん」がコッペパンの元祖といわれている。
また、玄米パンの普及・改良にも尽力。大正7年の米騒動を受け、代用食で東京市長に玄米パンを奨励。「脚気」予防にも一役買い、パン食を普及させようとした。
田辺家の家紋(「〇」の中に「十」)を商標に掲げ全国に広まる。
※暖簾分けによって弟子の氏をいれ、○○丸十製パンや、丸十○○パン、丸十ベーカリや、マルジューや、Marujyuなどがある。
山梨県のMarujyu
山梨県甲府市にある、県内で最も古いパン屋さん。
創業者・梅本静枝さんは、田辺氏から職人を派遣してもらい従業員に技術を取得させ、大正10年(1921)に開業。当時珍しいイースト(酵母)を使った県内最初のパン屋をオープン。「おいしい」「安全」「健康」を目指している。